東京高等裁判所 昭和49年(ネ)2687号 判決 1975年3月31日
控訴人兼昭和四九年(ネ)第二、六八七号事件附帯
被控訴人、同第二、七五四号事件附帯
被控訴人
古川力
右訴訟代理人
岡田久恵
被控訴人兼昭和四九年(ネ)第二、六八七号事件附帯
控訴人
不二タクシー株式会社
右代表者
狩野欣之介
外一名
右両名訴訟代理人
溝呂木商太郎
外四名
被控訴人兼昭和四九年(ネ)第二、七五四号事件附帯
控訴人
勝見照子
外二名
右三名訴訟代理人
葭葉昌司
主文
一、原判決を次のとおり変更する。
1 被控訴人不二タクシー株式会社および同講神正利は控訴人に対し、連帯して、金一、七五七万七、九〇四円および(イ)金八五〇万円に対する昭和四五年九月二五日から、(ロ)金八〇七万七、九〇四円に対する昭和四九年五月一七日から、(ハ)金一〇〇万円に対する本判決確定の日からそれぞれ完済にいたるまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。
2 被控訴人勝見照子、同勝見吉文および同勝見尚子は、控訴人に対し、被控訴人不二タクシー株式会社および同講神正利と連帯して各金五八五万九、三〇一円および(イ)金二八三万三、三三三円に対する昭和四五年九月二五日から(ロ)金二六九万二、六三四円に対する昭和四九年五月一七日から、(ハ)金三三万三、三三三円に対する本判決確定の日からそれぞれ完済にいたるまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。
3 控訴人のその余の請求を棄却する。
二、昭和四九年(ネ)第二、六八七号事件附帯控訴人らおよび同第二、七五四号事件附帯控訴人らの附帯控訴をいずれも棄却する。
三、訴訟費用のうち、(イ)第一審関係の分は四分し、その三を控訴人の負担とし、その一を被控訴人らの連帯負担とし、(ロ)第二審の附帯控訴人を除く分は被控訴人らの連帯負担とし、(ハ)附帯控訴関係の分は各事件ごとにその附帯控訴人らの連帯負担とする。
四、この判決主文第一項のうち控訴人の勝訴部分にかぎり仮に執行することができる。被控訴人不二タクシー株式会社および同講神正利において、各自または共同して、金一、八〇〇万円の担保を供し、被控訴人勝見照子、同勝見吉文および同勝見尚子において、各自または被控訴人不二タクシー株式会社および同講神正利と共同して、金五九〇万円の担保を供するときは、それぞれの被控訴人らに対する右仮執行を免れることができる。
事実《省略》
理由
一本件交通事故の態様、責任原因および損害は、次に付加訂正するほか、原判決書の事実欄のうち第一審被告狩野欣之介関係を除くその余の記載内容と同じであるから、これを引用する。
(一) 引用にかかる原判決の認定するとおり、第一審原告は九才の時左大腿骨骨髄炎および化膿性股関節炎に罹患したことがあり、本件交通事故後に罹患した骨髄炎は同事故による骨折等の外傷が直接の原因ではなく、右外傷後長期の臥床により体力が衰えていた後の昭和四三年八月二六日頃当時奉職中の国立静岡病院整形外科医長の勤務に復帰したが、ほどなくして左大腿部痛を生じ、レントゲン検査の結果、骨髄炎が左大腿骨骨幹部に認められたので、同年一〇月一日から市立静岡病院整形外科に入院し、手術療法として病巣掻爬術を受け同年一一月一一日退院し、その後翌四四年一月一二日まで自宅で療養を続け、翌一三日勤務に復したのであるが、右は当初の勤務復帰後に病巣のある左大腿部の負担が大きくなり、それが誘因となつて少年期に患つた骨髄炎が再発したものである(以上の事事実は、<証拠>によつて認められる)。しかしながら、本件交通事故と右骨髄炎の再発との間の因果関係を否定しえないことも原判決の論ずるとおりである。
ところで、上記の事実によると、第一審原告が少年時に前記骨髄炎等に罹患することがなく通常の健康状態の持主であつたならば右骨髄炎の再発などという事態を招くことはなかつたのであるが、たまたま被害者たる第一審原告が右病歴を有する特殊な健康状態にあつたため、これが本件交通事故と競合して右骨髄炎の再発という余病の発生をみるにいたつたものと認めるべきである。このように被害者の余病の発生が事故を唯一の原因とするものでない場合において、その余病にもとづく全損害を事故にもとづくものとするのは、不法行為責任としての損害の公平な負担という立場からみて不当であり、むしろ右のような場合には、事故が余病の発生に対し寄与したと認められる限度において加害者に賠償責任を負担させるのが相当であり、しかも両者の間に相当因果関係の認められる範囲内では、その因果関係のある損害を特別事情による損害として、加害者に当該事情についての予見があつたか否かを考慮する余地はないものと解すべきである。
これを本件についてみるのに、第一審原告の本件事故による受傷の部位、程度、骨髄炎発生の状況、経過を総合考量するときは、同原告における前記骨髄炎の再発に対する本件事故の寄与の程度は五〇%と認め、第一審原告の市立静岡病院入院に関する損害額のうち五〇%の限度において、本件事故と相当因果関係があるものとして、第一審被告らに負担させるのが相当である。
(二) そこで、第一審原告の損害額について検討する。
1 市立静岡病院の治療費関係
一九万七、二三九円
第一審原告が市立静岡病院に入院費および治療費として三九万四、四七九円を支払つたことは当事者間に争いがなくその五〇%は一九万七、二三九円(円未満切捨。以下これに同じ)となる。
2 右入院中の付添看護料
二万六、四四〇円
第一審原告が市立静岡病院に入院中の付添看護料として五万二、八八〇円を支払つたことは当事者間に争いがなく、その五〇%は二万六、四四〇円となる。
3 入通院交通費
二万〇、九五〇円
第一審原告が国立静岡病院および市立静岡病院に入通院するための交通費として二万〇、九五〇円を支出したことは当事者間に争いがない。
4 入院雑費 六万七、二〇〇円
第一審原告が国立静岡病院に昭和四二年九月六日から翌四三年三月二六日まで二〇三日間と、市立静岡病院に昭和四三年一〇月一日から同年一一月一一日まで四二日間、通算二四五日間(原判決は通算約二四六日入院したとするが正確でない)入院し、その間少なくとも一日あたり三〇〇円の入院雑費を支出し、国立静岡病院関係分が六万〇、九〇〇円であることは当事者間に争いがなく、市立静岡病院関係分が一万二、六〇〇円であることは計数上明らかであり、その五〇%は六、三〇〇円であるから、その合計は六万七、二〇〇円となる。
5 休業損害
六五万七、九四八円
第一審原告は本件事故当時国立静岡病院に整形外科医長として勤務し、本件交通事故にあわなければ、昭和四二年九月六日から同四四年四月一五日までの間三五二万六、六九五円の給料余の収入があるはずであつたが、前記入通院および自宅療養のため勤務先を休んだため、現実には諸手当等を除く本給二六八万六、五七五円が支給されたにとどまり、その差額八四万〇、一二〇円の得べかりし利益を失つたのであるが、引用にかかる原判決の摘示する<証拠>によると、右のうち第一審原告が市立静岡病院に入院した昭和四三年一〇月分以降の得べかりし利益は合計三六万四、三四四円のところその五〇%は一八万二、一七二円であり、これに昭和四二年九月分より同四三年九月分までの合計四七万五、七七六円を総計すると六五万七、九四八円となる。
6 逸失利益
二、〇四六万六、六二六円
(1) 第一審原告は、昭和四八年七月三一日国立静岡病院を退職し翌八月一日から静岡市内で個人で整形外科医院を開業したが、本件事故による後遺症によつて労働能力を二七%喪失したとして、そのことによる逸失利益を損害としてその賠償を請求するので、この点について判断する。
交通事故による被害者が後遺症のため顕著な労働能力の低下をきたしている場合には、事故の前後を通じて減収を生じておらず、むしろ事故後の転職によつて事故前より収入が増加していたとしても、直ちに労働能力低下による財産的損害が発生していないと断定することはできない。なぜならば、被害者にそのような後遺症がなく、事故前に具有していた通常の労働能力を発揮したならば、事故後にも現実に得た収入以上の収入を得られるであろうことはみやすい道理であるから、労働能力はその行使によつて収益をあげうるものであつて、それ自体において財産的価値を有するものというべきである。したがつて、被害者が事故に伴う後遺症によつて労働能力の低下をきたしているときは、その低下した労働能力が従事している職種に関連をもつものであるかぎり、労働能力低下による財産的損害が発生しているものというべきであり、事故前後の収入の差額、同職種に従事する者の平均を上まわる収入があることなどは、右損害を評価し、損害額を算定するうえでの事情にすぎないものと解するのが相当である。
これを本件についてみるのに、第一審原告の前記開業による診療収入が整形外科医の平均収入を上まわつていることは引用にかかる原判決の判示するとおりであるが、他方、第一審原告は昭和四八年五月現在において頭痛感、左肩関節部の自発痛および倦怠感、左上前腕から小指などの尺骨側のシビレ感および疼痛、左股関節の運動障害と左股関節部および左大腿部の疼痛、右眼の疲労感などの自覚症状があり、また右股関節等の運動障害のために左股関節強直の状態にあつて左足の靴下および靴を履くのがむづかしく、寝台車の梯子段を登ることができないのでその中、上段を使用することができず、長時間の手術に従事するのが困難な状態にあることも同じく原判決の判示するとおりである。さらに<証拠>によると、第一審原告は国立静岡病院に勤務中、事故前には極めて精力的に医業に従事し、同病院より帰宅するのが午後一〇時ないし一一時のことがまれではなかつたが、本件事故を経て医院を開業してからは疲労度が顕著であつて、午後の診療時間は当初二時から六時受付までとしていたが、これを続けることが苦痛となつてきたため、事実上三時頃から診療をはじめ、昭和四九年二月からは六時受付までを五時にくり上げ、さらに日曜日のほか木曜日を休診日として休養していることが認められ、これに反する証拠はない。以上の事実および引用にかかる原判決認定の諸事情を総合勘案するときは、第一審原告は昭和四八年八月一日より平均して一〇%を下らない労働能力低下による損害を蒙り、それが稼働余命年数全期間に及ぶものと認めるのが相当である。なお、<証拠>のなかには、右認定以上の労働能力低下をきたしている旨の供述があるが、それらは供述者の現状にもとづく見解にすぎず、第一審原告はその専門の医師的立場と経済的能力とによつて今後の稼働余命年数中には心身の状況を回復して若干の労働能力の向上を期しえられる可能性が期待できないこともないことなどを考慮すれば、右各供述を参考としなながらも、なお右一〇%の労働能力低下を相当と考えられる。また、静岡労災病院整形外科医師佐藤正泰が第一審原告の前記後遺症を労災補償身体障害等級表準用第一〇級程度の障害が加重されたと診断していることは原判決の判示するとおりであり、昭和三二年七月二日基発第五五一号労働省労働基準監督局長通牒によつて、右労働障害第一〇級の労働能力喪失率が二七%とされていることは公知の事実であるが、右は主として肉体労働者が労働能力を喪失した場合を対象として示されたものであつて、これを直ちに高度の知的作業を伴う整形外科の開業医である第一審原告の場合に適用することはできないので、右通牒もまた前記認定の妨げとなるものではない。
(2) <証拠>によると、第一審原告が整形外科医院を開業した昭和四八年八月一日から同年一二月三一日までの五か月間に保険収入二、七九〇万八、二三七円(一か月平均五五八万一、六四七円)、自由診療収入四八〇万〇、五一九(一か月平均九六万〇、一〇三円)、合計三、二七〇万八、七五六円(一か月平均六五四万一、七五〇円)の診療収入を得ており、税務当局では医師の所得に対する経費等として、前者につき七二%、後者につき57.1%の控除を承認しているため、第一審原告もそれに準じて控除をした残額を実収入として納税申告をしていることが認められる。他方<証拠>によると、第一審原告の開業当初においては、保険診療収入は月額五〇〇万円ないし五五〇万円であつたが、昭和四九年二月より医療費等の改正があり、同月以来それまでより二〇%程度の減収があり、ことに前示のとおり診療時間を短縮したりなどした関係もあつて、右二月より保険収入が月額三〇〇万円程度に減じたことが認められ、右によると第一審原告の昭和四九年二月頃以降の保険収入は月額三〇〇万円、自由診療収入は月額七七万円(従来の収入九六万円より約二〇%控除)を下らない額であると認定される。ところで、逸失利益の算定のように将来の不確定な収入を予想してその額を算出するについては、算定基準時中の一時的高低にこだわることなく、口頭弁論終結時に接着した時期における収入を基準とするのが公平の観念に合致するので、右にあげたうち後者を第一審原告の逸失利益算定の基準とするのが相当である。右診療収入に対する所得率は前記経費等を控除すると保険収入分が二八%であるから月額八四万円、自由診療分が42.9%であるから月額三三万〇、三三〇円、合計一一七万〇、三三〇円であるところ、第一審原告の労働能力低下による損害一〇%を考慮すると、その額は月額一三万〇、〇三六円とみるべきである。そして、前出甲第二〇号証の二の一によると、第一審原告は昭和五年四月二九日生れであると認められ同人の医院開業時の年令は四三才余であり、その職業の性質などを勘案するときは少なくとも六二才余まで稼働可能と認められるから、稼働余命年数は一九年間である。そこで第一審原告の昭和四八年八月一日から一九年間の逸失利益をホフマン式係数にもとづき年五分の中間利息を控除して計算すると、二、〇四六万六、六二六円(130,036×12×131.116=20,466,626)となる。
7 慰藉料 三五〇万円
本件事故による第一審原告の慰藉料は三五〇万円を相当とする。
8 弁護士費用 一〇〇万円
当裁判所は本件における諸般の事情を総合するときは、第一審被告らが第一審原告に賠償すべき弁護士費用(手数料および謝金を含む)は一〇〇万円をもつて相当であると認める。
(三) 右に説示したところによると、第一審原告は本件交通事故による損害賠償として、(イ)前記1ないし7の合計二、四九三万六、四〇三円および(ロ)8の一〇〇万円、総計二、五九三万六、四〇三万円の請求権を有するところ、第一審被告会社が右損害賠償債務の内金として三〇万円を支払つたことは当事者間に争いがなく、第一審原告がこれを右(イ)の損害賠償請求権から控除している主張の趣旨からして第一審被告会社との間に争いがないかみられるので、これを控除すると、右(イ)の残額は二、四六三万六、四〇三円であり、これに右(ロ)の一〇〇万円を加えると、二、五六三万六、四〇三円となり、第一審原告は本訴においてそのうち、一、七五七万七、九〇四円を請求している。
そして、第一審原告は右請求権のうち八五〇万円に対する不法行為後の本訴状送達の日(第一審被告らに対する最後の送達の日)の翌日であることが本件記録によつて明らかな昭和四五年九月二五日から完済にいたるまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めているので、この点は理由がある。次に残額九〇七万七、九〇四円について請求拡張を申し立てた口頭弁論の日の翌日である昭和四九年五月一七日から完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について審案するのに、そのうち前記(ロ)の弁護士費用一〇〇万円を控除した八〇七万七、九〇四円については理由があるが、右弁護士費用に関しては、その支払義務がいつ履行され、弁済額がいつ到来するかについては確証がないので、その分に対する遅延損害金の発生を確認できないが、委任事務については通常その事務を履行した日に報酬を請求しうるものとされているため、少なくとも本判決の確定とともにその弁済期が到来するとみるのが相当であるから、右については本判決確定の日から完済にいたるまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を請求しうるものというべきである。
二以上の次第であるから、第一審原告の本訴請求は、(1)第一審被告会社および第一審被告講神正利に対し連帯して一、七五七万七、九〇四円および(イ)八五〇万円に対する昭和四五年九月二五日から、(ロ)八〇七万七、九〇四円に対する昭和四九年五月一七日から、(ハ)一〇〇万円に対する本判決確定の日からそれぞれ完済にいたるまでの年五分の割合による金員を、(2)第一審被告勝見照子、同勝見吉文および同勝見尚子に対し、第一審被告会社および同講神正利と連帯して、各五八五万九、三〇一円および(イ)二八三万三、三三三円に対する昭和四五年九月二五日から、(ロ)二六九万二、六三四円に対する昭和四九年五月一七日から、(ハ)三三万三、三三三円に対する本判決確定の日から、それぞれ完済にいたるまでの民事法定利率年五分の支払を求める部分にかぎり許容しうるにとどまるというべきである。
よつて、第一審原告の本訴請求は、右に説示した限度において正当であるが、その余は失当であるから、これと異なる原判決を変更したうえ、右に説示した限度で認容し、その余は棄却し、また第一審被告らの附帯控訴はいずれも理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、九三条、九二条および八九条を、仮執行の宣言およびその免脱の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(畔上英治 岡垣学 唐松寛)